2006年8月16日 (水)

続:適正収容力・地域容量

例:ケーブルカー、ロープウェイの定員
 ケーブルカーやロープウェイには、すいていない限り、乗客一人ひとりにゆったりとした空間は与えられません。ロ-プウェイでは、満員の時に真ん中に乗ると景色を楽しむどころではなく、早く着かないかと思うほどです。
 しかしながら、大きな車輌や搬器にしてしまうと、建造費はもちろんのこと通常の維持管理費も高くなり、採算がとれなくなってしまいます。混雑期には乗客に心理的肉体的な負担を強いることになりますが、運営に支障のない大きさと定員を設定する必要があります。
 これは、経済的収容力(economical capacity)というものです。

特定の施設を対象に考えると、経済的収容力(economical capacity)は、単純に経営の問題といえますが、これを観光地というような地域の問題に適用すると、一般的な施設経営の問題とは異なってきます。

「屏風と商売は広げ過ぎると倒れる。」という言葉が言い伝えられています。これは老舗の哲学というようなものでしょうか。
広げすぎると、品質・サービスの維持が難しくなります。また、客層(ターゲット)が広がると、本来の客とは異なる客を相手にするようになり経営方針を変える必要が生じます。言い換えると、経営の不安定要因が増加するといえます。だから「広げすぎる」と倒れます。

この言葉を観光地という地域の経営に当てはめると「身の丈にあった開発」が必要ということになります。

例:汚水(し尿)処理能力
 観光客が来るようになると観光客が利用できるトイレが必要になります。一般には、そのようなトイレは無料で使用できます。
 観光客が増え、混雑期で利用が集中するとトイレの利用も増えるので、それに見合った処理能力が必要になります。しかしながら、集中する観光利用に合わせた処理を行える施設をつくるとなると地元の負担が過大になるおそれが生じます。
 観光客の消費が地元に落ち、そこから十分な税収があがることによって、観光客用の処理能力がまかなえることになるわけですから、地元で十分に消費してもらえる仕組みがないと、観光客向けの利便施設が地元の負担になってしまうおそれが生じます。
 つまり、地元の身の丈に合った観光客数に抑えないと、地元にとってマイナスになるおそれがあるということです。これも、経済的収容力の一つです。

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2006年8月 8日 (火)

適正収容力・地域容量

自然地域や観光地など、ある地域に過剰な利用が起こると、自然や地域の環境が損なわれたり、利用者が不快に感じたり、あるいは経済的な負担や損失が発生したりします。そして、結果としてその地域の魅力が損なわれることになることも少なくありません。

そのような問題を起こさないためにも、同時(あるいはある一定の期間)に地域に受け入れることができる限度の人数、あるいは望ましい受入れ人数を把握しておき、過剰な利用が生じないように利用をコントロールしてゆくことが肝要です。

これらを適正収容力(optimum capacity)あるいは地域容量(regional capacity)といいます。

わかりにくいと思いますので、具体的に例をあげて説明します。

例1:海水浴場の利用
 海水浴場の砂浜は、ビニールシートを敷いたりビーチベッドおいたりして利用しますが、そのほかに人が歩くスペースが必要となります。
 夏の鎌倉・湘南海岸など非常に混雑しますので、人がぎっしりと砂浜を埋め尽くし、隣にいる人(グループ)との距離はかなり近くなります。それでもお互いが支障なく利用できる状態にあります。
 そのMAX(最大限)のところが、物理的収容力(physical capacity)です。これは「1人当たり何㎡」という単位で表すことができます。

例2:湿原の利用
 現在、優れた植生を持つ湿原は、木道の上を歩くようになっていますが、木道が設置される前は、人数が少ないですが、歩きやすいところなどを選んで直接湿原の中に入って歩いていました。
 尾瀬のように有名なところは入山する人が増えるにつれて、つまり利用密度が高まるにつれて、歩いたところが踏み固められ、自然のままではもとの湿原の状態に戻らなくなってしまいました。
 その自然に回復できる限界のところが生態的収容力(ecological capacity)です。
 これは、例えば、単位面積当たりの利用人数で表されますが、短い時間に利用が集中すればより回復が難しくなりますので、利用人数の総量だけではなく、利用の集中度合にも注意する必要があります。利用が特定ルートに沿ったものであれば、通行量で表すことになります。
 芝生の広場は人工的につくられるものですが、利用密度が高まると損傷して裸地化してしまいます。芝生が回復可能な利用密度も生態的収容力として捉えられます。

例3:木道の利用
 湿原等に木道が整備されるとその上を歩くようになります。当然の帰結として、歩きやすくなるから利用者が増えます。尾瀬のような有名な人気のある場所ではシーズンにはかなりの混雑が生じることになります。
 せっかく自然の中にいるのに、木道の上で行列ができてまうとゆっくり自然を楽しめないし、自由に歩けない、ということになってしまいます。
 自然の中を歩いている印象が損なわれない限界の混雑の度合いがあり、そのようなものが心理的収容力(psycological capacity)です。
 木道を歩く場合には、歩いているグループ間の平均距離や単位時間当たりの通行量で表されます。草地の園地などで自由に腰をおろす場合には、グループ間の距離、グループ(あるいは1人)当たりの専有面積、単位面積当たりの利用密度などで表されます。

A100_1 この写真は、京都の鴨川の川床です。この写真の右端の方を見ると、2組のカップルと1組の女の子のグループが川べりに座っています。
(写真をクリックすると拡大されて見やすくなります。)
 彼・彼女たちは、隣のカップル・グループが気にならない程度の距離をとって座っています。これも、心理的な距離です。

以上の

 物理的収容力(physical capacity)
 生態的収容力(ecological capacity)
 心理的収容力(psycological capacity)

の3つは、適正収容力(optimum capacity)を表すには、わかりやすい概念です。もちろん個別に算定するには手間がかかりますが、それぞれの空間の特徴(広さ、環境、地表の状況など)と利用目的(活動の種類)によって、概ね決定されるものと考えられます。
物理的に過剰な混雑が生じれば、利用できない人が現れたり、待ち行列が生まれたり、人と人がぶつかりトラブルが生じたりします。生態的に過剰な利用は、自然環境の損傷となって現れます。心理的に過剰な利用は、体験の質を低下させ、魅力を低下させ、早く帰ってしまったり、来訪・再訪をためらわせる心理的な影響となって現れたりします。

これらは、適正収容力・地域容量を考える基本的なレベル(第一段階)といえます。

(次稿に続く:編集しなおしました)

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2006年1月31日 (火)

日本三景

日本三景は、現在の、宮城県宮城郡松島町にある「松島」、京都府宮津市にある「天橋立」、広島県廿日市市宮島町にある「厳島(宮島)」の三つの名勝です。

この日本三景は、林羅山の三子、儒学者の林春斎が、江戸時代初期に記した『日本国事跡考』(1643年)中に「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳興、丹後天橋立、安芸厳島為三処奇観」と記したのが始まりとされています。
日本三景という表現では、元禄期に天橋立を旅した貝原益軒が「其景絶言語。日本の三景の一とするも宜也。」と『己巳紀行(丹波丹後若狭紀行)』の中に記しているのが見られます。

現在、三景のそれぞれの地で日本三景を紹介していますが、その順番は、自分のところを一番においています。

江戸時代に諸国を旅した伊勢の俳人、大淀三千風は、『日本行脚文集』をまとめ、その中で著名な景勝地12ヶ所を「本朝十二景」と題して順位をつけて紹介していて、日本三景の地は、松島(第2位)、橋立(第4位)、厳島(第7位)の順番となっています。当時は松島が三景の中では1番人気だったようです。

現在、松島は「県立自然公園松島」に、天橋立は「若狭湾国定公園」に、宮島は「瀬戸内海国立公園」に属しており、自然公園の格付けとしては、江戸時代とは逆の順番になっています。また、宮島は世界遺産にも指定されています。

周辺の優れた自然環境を含めた場合の地域的な規模も影響していると思いますが、風景の見方が変わったことが大きいのではないでしょうか。

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2005年12月 7日 (水)

七里四方

自分のすむ場所から七里四方でとれた旬の食材を使った料理を食べるのが身体によいとされています。人の身体は、住んでいる土地の空気、水、土からつくられるので、同じ土地で育った食材が身体にいいわけです。たまには変わったものを食べても、基本的には住んでいる土地のものを食べるのがいい、ということです。

たまに旅行に出るとよその土地のものを食べることになりますが、その土地の郷土料理や名物料理を食べるのは観光旅行の楽しみの一つです。地元の食材で新しく郷土料理をつくって観光振興に役立てようとしている地域が多く見られますが、地元の範囲をかなり狭く捉えていて、素材の選択肢を非常に少なくしているところも見られます。地元の範囲を七里四方と捉えると、きりがいいところで約30km四方ということになります。したがって、おおよそ30km圏域を地元と考えて素材を発掘して活かしてゆけばいいのではないかと思います。

ところで、この七里四方という言葉は、食材のことだけに使われているわけではありません。例えば、弘仁10年( 819)に、弘法大師は高野山上七里四方に結界を結び、伽藍建立に着手しています。また同じ年に、彦山霊仙寺(ひこさんりょうぜじ)は寺領として七里四方を嵯峨天皇から与えられ、彦山神領・彦庄が生まれています。

七里四方、つまり概ね30km圏域は、地域を捉える一つの単位となる大きさとしての意味を持っているといえるでしょう。

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2005年11月 6日 (日)

人(牛)が生み出した自然の風景

美しい自然風景は、すべて自然が創り出したものと思われがちですが、実際には人の営みが加わってできた風景も少なくありません。
雲仙のツツジの風景は放牧によりできたものでした。牛がツツジを食べなかったおかげでツツジが残ったわけですが、放牧をやめたら他の植物が育ち、ツツジは減少してしまいました。hittori2
写真の櫃取湿原(岩手県)も放牧が生み出した風景です。日本短角牛が今でも放牧されています。
県の自然環境保全地域に指定されたときに、湿原を守るためという理由で一時放牧を追い出したことがあるという話を聞いたことがありますが、ここの風景がどのようにできたものかを理解していない人によって決められてしまったのでしょう。
春にはミズバショウの群落が見られるところです。hittori1
放牧されている日本短角牛は雌牛の中に1頭雄牛がいて、放牧している間に子供をつくります。放牧されているときは、雄牛には一応気をつけてください。

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2005年10月18日 (火)

100選

『日本の100選データ・ブック』という本がまとめられるほど、色々な100選があります。その中には観光客の行動に影響を与えるものもあります。今まで知らなかったものを、100選に選ばれ公表されることによって知り興味を持つことも少なくないからです。
「ふるさとのおにぎり百選」は伝統的な地域生活の中の味を教えてくれ、楽しむ機会を与えてくれるものです。先日、熊野古道を訪れた時に、「そういえば‘めはりずし’というのがあったな」と思いだして食べてみました。
100選の種類によっては、観光的な効果はなく、選ばれた地元の誇りという意味合いのものもあるでしょう。

しかしながら、100という数字で区切るのがいいのか、あるいはこれが100選に入るの、と疑問を感じさせるものもあります。新しいものができることがわかっているもの、例えば「日本の都市公園百選」や「日本の道百選」などは、新しい優れた公園や道がつくられたらどうするのだろう、と思います。「名水百選」や「水源の森百選」などは、名水や水源の森は、百選というような区別をしないで守ってほしいものですが、百選かそうでないかで価値が違うような印象を与え、選ばれていないところにマイナスの影響を与えるおそれがあります。
また、「さくらの名所100選」などは、選定箇所の全国的な分布を考慮していると思われますが、中には、桜はきれいだけどまわりの景観・環境が今ひとつというようなところもあり、「これが100選?」と思わせるものもあります。
100選に選ばれたということで、立派な記念碑を建てるところも多いようですが、邪魔なだけ、無駄遣いというものも少なくありません。

100選の優等生は、やはり深田久弥の「日本百名山」。それぞれに物語があり、多くの人が共感を持つ。そして百名山のその後として他の山についての文章も書かれ、何よりも「最近登った山は捨てがたい」というような主旨のことを書いていることが、百名山がありその他の山もすばらしいということを示しています。
100選があって100選にとどまらないということをはっきりと伝えられる100選を選定してほしいものです。

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2005年9月19日 (月)

書写山円教寺

sandou写真は西国三十三所巡礼の西の端、27番目札所、西の比叡山とも呼ばれる書写山円教寺です(上:三堂、下:摩尼殿)。

maniden江戸時代ここを訪れた貝原益軒は、ここの山中の静かで優れた環境や俗化していないところを評価していました(『壬申紀行』)。その一方で、高野山は熱閙の地、比叡山は富貴の相があるなどの評価をしています。すでに江戸時代には観光地の俗化が問題となっていたようです。ただし、その受け止め方は旅人によって異なります。

ここは映画ラスト・サムライの撮影で使われたところですが、撮影の話は、ロープウェイの中のガイドが一言、撮影に使われた食堂(じきどう)の中で「渡辺謙がここで・・・」と一言聞いただけで、特にそのことを積極的に宣伝に使うようなところは感じられませんでした。そのおかげもあり、現在も俗化せず、静かでよいところでした。




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2005年8月27日 (土)

湯YOUパーク

以前、道の駅と日帰り温泉のオートキャンプ的な利用を紹介しましたが、日本RV協会が提唱している「くるま旅」の中で実施されている「湯YOUパーク」は、別の形のオートキャンプといえるでしょう。

各地の温泉を楽しみながら、その旅館・ホテルの駐車場でキャンピングカーユーザーが、自分のキャンピングカーで泊まれるようにしたものです。旅館・ホテルの協力で行われ、基本的には、温泉を利用する事が前提となります。食事その他で施設を利用することもできます。

ユーザーにとっては、利用できる場所が増え温泉も利用できることと、管理者が旅館・ホテルということで安心感があります。旅館・ホテル側としては施設の有効利用が図れるというメリットがあります。スキー場があるところでは、スキー場の駐車場を利用してもらうことでオフシーズン対策にもなります。また、利用者が日本RV協会のメンバーであり、ある程度素性がはっきりしていることも貸しやすい状況を生んでいます。

滞在型の利用ではなく、周遊型の旅行に向いたシステムといえます。

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2005年8月26日 (金)

鳥瞰図絵師 吉田初三郎

鳥瞰図絵師・吉田初三郎については、2002年に『別冊太陽 吉田初三郎のパノラマ地図』が平凡社から出版されたので、手軽に知ることができるようになりました。多くの作品が掲載されているほか年譜等もあり、初三郎の活躍の様子がよくわかります。機会があったら是非ご覧ください。

写真は私の手元にある鉄道省発行の『鉄道旅行案内』(大正10年・13年)に掲載されている、日光と高野山の鳥瞰図です。

ryokoannai

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2005年8月 7日 (日)

平安貴族女性の物詣

b 平安時代、貴族の女性が遠出をする機会は限られていました。その数少ない機会の一つが物詣であり、石山寺や長谷寺などに参籠しています。

寺のお堂に籠もり物思いするだけではなく、路次の風景が心を楽しませ癒しとなっていました。

写真は石山寺の「源氏の間」です。紫式部が参籠し源氏物語を書き始めたところと言われています。

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