2008年1月11日 (金)

不易流行

1年数ヶ月放置したままになってしまいました。
久しぶりの更新です。

「不易流行」、芭蕉の作句理念の一つです。

「不易」と「流行」を分けてしまったら、それは芭蕉固有のものではなくなってしまいます。
でも不易流行を俳諧ではなく一般的にあるいは他の分野で用いる人の多くは、「不易流行とは、芭蕉の・・・」と書きながら、「不易」と「流行」を別々に述べて終わりにしている人が多いように思われます。
この人「わかっているのかな?」と首をかしげたくなります。
私も深く理解しているかどうかは怪しいですが、別にしたままにはしません。

さて、「不易流行」という言葉はどこに出ているのでしょうか。詳しくわかっているわけではないので、まずすぐに思いつくものを紹介しておいて、あとで気がついたら追加してゆくことにしたいと思います。

『去来抄』 修行教    ワイド版 岩波文庫

「去来曰、蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云有。是を二ッに分つて教へ給へども、其基は一ッ也、不易を知らざれば基立がたく、流行を辨へざれば風あらたならず。不易は古によろしく、後に叶ふ句なれば、千歳不易といふ。流行は一時一時の變にして、昨日の風今日よろしからず、今日の風明日に用ひがたきゆへ、一時流行とは云はやる事をいふなり。

(中略)

魯町曰、不易流行其基一ッとはいかに。去来曰、此事辨じ難し。あらまし人躰にたとへていはゞ、先不易は無爲の時、流行は座臥行住屈伸伏仰の形同じからざるが如し。一時一時の變風是也。其姿は時に替るといへども、無爲も有爲も元は同じ人也。

(中略)

魯町曰、不易流行の句は古説にや、先師の發明にや。去来曰、不易流行は萬事にわたる也。しかれども俳諧の先達是をいふ人なし。・・・・・・・」

この最後の部分を見るとわかるように、「不易流行」は芭蕉の発明ということではありません。しかしながら、俳諧に取り入れたのは芭蕉が最初ということです。

芭蕉の発明ではないけれども、「不易流行」を明確な意図を持って使ったという意味で、芭蕉の不易流行は意味があると思います。

不易とは、変わらないもの、本質、伝統、流行とは、文字どおりということですが、その時々で変わるもの、新味、というようなものという理解でいいと思います。
この二つを合わせ持つのが不易流行ということです。

古池や蛙飛こむ水のをと

この句を芭蕉自身も不易流行のの句と捉えていました。

ここでは、不易は古歌の伝統、流行は新味という見方です。

「古池」に「蛙」を合わせる。「古池」から「蛙」へとつながる流れ、リズム、。これが古歌の伝統です。このままの流れ、リズムのままでゆくと、「蛙」には「鳴く」、「鳴き声」というものが合わせられます。
ここで、伝統の流れ、リズムの余韻を残しながら、同じ音でも、「鳴き声」ではなく飛こむ「水のをと」を合わせたところに新味があるわけです。

このことは、杜哉(とせい)の『芭蕉翁発句集蒙引』の中に「蛙声(あせい)を詠ずるの古轍を追はず」と評されています。

芭蕉の不易流行については、土芳の『三冊子』や支考の『梟日記』などにも記されています。

(後日書き続けます)

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2006年1月31日 (火)

日本三景

日本三景は、現在の、宮城県宮城郡松島町にある「松島」、京都府宮津市にある「天橋立」、広島県廿日市市宮島町にある「厳島(宮島)」の三つの名勝です。

この日本三景は、林羅山の三子、儒学者の林春斎が、江戸時代初期に記した『日本国事跡考』(1643年)中に「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳興、丹後天橋立、安芸厳島為三処奇観」と記したのが始まりとされています。
日本三景という表現では、元禄期に天橋立を旅した貝原益軒が「其景絶言語。日本の三景の一とするも宜也。」と『己巳紀行(丹波丹後若狭紀行)』の中に記しているのが見られます。

現在、三景のそれぞれの地で日本三景を紹介していますが、その順番は、自分のところを一番においています。

江戸時代に諸国を旅した伊勢の俳人、大淀三千風は、『日本行脚文集』をまとめ、その中で著名な景勝地12ヶ所を「本朝十二景」と題して順位をつけて紹介していて、日本三景の地は、松島(第2位)、橋立(第4位)、厳島(第7位)の順番となっています。当時は松島が三景の中では1番人気だったようです。

現在、松島は「県立自然公園松島」に、天橋立は「若狭湾国定公園」に、宮島は「瀬戸内海国立公園」に属しており、自然公園の格付けとしては、江戸時代とは逆の順番になっています。また、宮島は世界遺産にも指定されています。

周辺の優れた自然環境を含めた場合の地域的な規模も影響していると思いますが、風景の見方が変わったことが大きいのではないでしょうか。

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2005年8月26日 (金)

鳥瞰図絵師 吉田初三郎

鳥瞰図絵師・吉田初三郎については、2002年に『別冊太陽 吉田初三郎のパノラマ地図』が平凡社から出版されたので、手軽に知ることができるようになりました。多くの作品が掲載されているほか年譜等もあり、初三郎の活躍の様子がよくわかります。機会があったら是非ご覧ください。

写真は私の手元にある鉄道省発行の『鉄道旅行案内』(大正10年・13年)に掲載されている、日光と高野山の鳥瞰図です。

ryokoannai

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2005年8月 2日 (火)

夏の庭

『源氏物語』の「少女(おとめ:乙女)」の巻には光源氏の六条院造営が描かれています。光源氏は4人の女性にあわせて四季の庭をつくっています。

その中で夏の庭は、「涼しげなる泉ありて、夏の蔭によれり。お前近き前栽、呉竹下風涼しかるべく、木高き森のやうなる木ども木深く面白く、山里めきて、卯の花垣根殊更にわたして、昔覚ゆる花橘、撫子、薔薇(さうび)、くだになどやうの、花のくさぐさを植ゑて、春秋の木草、その中にうちまぜたり。」と描かれています。

いかにも涼しげな庭です。夏の演出には「涼」の感覚が欠かせないことがわかります。
ここは花散里の住まいです。

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