« 『単騎遠征録』(明治27年)と『大阪新繁昌記』(明治29年) | トップページ | 「観光」を誌名に含む、戦前の観光の雑誌類 »

2015年8月 5日 (水)

薄田泣菫と山田寅之助の想像力

明治30年代に少しずつ広がり始めた「観光」の語を伴った観光ですが、40年代に入ると、注目すべき用例を見いだすことができます。

40年代には、韓国、ロシア、アメリカからの「観光団」がやってきて「観光団」の文字が新聞紙上賑わしますが、「観光」の意味、使い方を考える上で注目すべき用例は次のものです。

薄田泣菫は、ゲーテのローマ滞在(イタリア紀行)を「大才ゲエテが一代に新紀元劃したる羅馬観光の真実の意義を知り候ものは、やがてわが京都の其の歴史的価値以外に新代の芸術と芸術家に於ける位置とを了解し得べけん」(『落葉』、明治41年)と表現し、山田寅之助は、ローマについて記す中で、ローマ帝国時代に思いをはせ、「天下の国々より羅馬に上り来れる観光の客の多かったのみならず、・・・」(『羅馬観光記』、明治41年)と表現しています。

この二人の想像力は、過去の事象に観光を見いだしたわけです。

この二人とは異なりますが、明治41年にはもう一つ注目するものがあります。
翻訳本『破天荒』(近デジ、ル-ドルフ・マ-チン著,高野巽(弦月)訳)です。

ドイツ語で書かれたものなので、訳者が、内容から判断して観光と訳したわけです(残念ながら原書が見つかっていません)。ドイツ語に観光に相当する単語はありませんので、内容から観光と表現したことになります。これも想像力です。
「はしがき」に「『破天荒』は、空中船完成の暁に於ける空中生活の状態を想像して描けるもの」とあるように現実のことではありません。「観光」が出てくるのは次の箇所です。

「一八、北極の観光
「年々夏期に至れば、米人を筆頭として数千の旅客は、空中船、飛行機を利用して納涼旁々北極の観光に出掛けるもの踵きも切らず、・・・」

「一九、メソポタミヤ楽園」
「メッカ号の一行はバグダッドに着せる翌日、一同精良なる飛行機を借りて附近の観光に出掛けた。」

(2015.8.5)

|

« 『単騎遠征録』(明治27年)と『大阪新繁昌記』(明治29年) | トップページ | 「観光」を誌名に含む、戦前の観光の雑誌類 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/114690/62022602

この記事へのトラックバック一覧です: 薄田泣菫と山田寅之助の想像力:

« 『単騎遠征録』(明治27年)と『大阪新繁昌記』(明治29年) | トップページ | 「観光」を誌名に含む、戦前の観光の雑誌類 »