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2014年9月18日 (木)

Wikipediaの「観光」を見たら

久しぶりにWikipediaの「観光」を見たら、以前とは中身が変わっていましたが、相変わらずというか、新手のというか、おかしな説明が堂々と記載されていました。(2014.9.8)

(2014.9.18確認->2015.8.8確認(そのまま)の掲載から)

「国会、政府機関の審議会等における位置づけ」 の項

「用語としての観光は、朝日新聞データベース「聞蔵」による検索結果によれば、当初は固有名詞(観光丸、観光社、観光寺等)に使用されるケースしかない。普通名詞として使用された初めてのケースは、1893年10月15日に日本人軍人による海外軍事施設視察に使用された「駐馬観光」である。その後日本人軍人から外国人軍人、軍人以外の者の海外視察等へと拡大してゆき、最終的には内外の普通人の視察にも使用されるようになっていったが、いずれも国際にかかわるものである点ではかわりはなかった。」

「概念の明確化が求められる法令において観光が使用されたのは、1930年勅令83号国際観光局官制がはじめてである。朝日新聞データベースから推測されるように、世間では観光が国際にかかわるものに限定されて使用されていた・・・。然しこの時に観光に国際をつけたが故に国内観光の用語の発生する余地ができたとも考えられる。」

「観光が国内観光、国際観光を区別しないで使用されるようになったのは、戦後連合国の占領政策が終了する時期、つまり日本人の国内観光が活発化する頃からである。」

※以下抜粋(大半削除)して掲載

以上の記述の根本的な問題

 朝日新聞データベース「聞蔵」による検索結果だけで短絡的にものを言っていること

人流・観光研究所のホームページに掲載されている寺前秀一氏による資料に同様の内容のものがあるので、それが元になっているのかもしれない。(「帝京平成大学紀要」に書かれているものは同じ内容でした。)

[私が問題としてあげたこと]

国としては、外国人観光客の誘致への関心が高いので国際観光に関する「観光」の語の使用が相対的に多くなっていると思われますが、例えば大正期の建議の中に「内外観光者」、「内外人士ノ遊覧、観光ノ目的物」などの表現があるように、国際観光に限定されて「観光」が使われていたわけではありません。国内の観光についての使用は、明治30年代のものが確認されています。

以下(2015.8.8)変更

この問題を指摘したところ寺前秀一氏からコメントがつきやりとりをしました。

そこで判明したことは、次の点です。

●「朝日新聞データベース「聞蔵」による検索結果」といっているが、寺前秀一氏は、検索されたものの内容をきちんと把握していない(読んでいない)

●「あくまで語源の影響を受けて「国」境を超える意味で使用することからはじまっていると仮説を立て主張している」といっているが、語源からは「「国」境を超える意味」は出てこないことを理解していない(この指摘をしたら論点をすりかえようとするコメントをしてきました)

また、やりとりの中で、「もともとの論点は「世間では観光が国際にかかわるものに限定されて使用されていた」という点を「おかしい」とするもの」であり、国内の観光用例をいくつも示し、論点を戻そうとしましたが、そこを避けるかのように話をずらし論点をすりかえようとしてきました。

朝日新聞の記事だけをみても、国内の観光に使用している例がいくつか確認されており、「観光が国際にかかわるものに限定されて使用されていた」という説を立てること自体そもそもおかしなものです。

※私が使っていない表現なのに、「内外無差別」と言っているように書いてきたことは、失礼な行為だと感じています。「アプリオリに限定」とい言ってきたことも同様です。なぜ「差別」という表現がでてくるのか。おかしなことです。(「差別」という概念を持ちだしているのは寺前氏です。)

さらに、観光が国際に限定されていたという主張に合わせようと、数々のこじつけを、うんざりしあきれるほど並べてきました(こじつけの内容は別の記事の中に載せておきました)。また、量的にどうとかと、非論理的な主張をして自分の主張を擁護しようとしています。

基礎的な調査・検証を怠り、論理性を欠き、付会の説に腐心する様は、凡そ研究者の姿勢とはかけ離れたものです。

加えて、先般、「JAPAN NOW 観光情報協会」というところで「観光」の語に関する講演をしましたが、明治以降の話に関して。寺前氏は、文脈や紹介した多くの用例等に触れることなく、単にいくつかの用例等をあげ、私が話していない説明をつけています。その説明について批判をしている部分もあり、何ともいいようがありません。改めて相手をするのが馬鹿らしく思えました。

以上から、寺前秀一氏は、今後も目先をころころ変えたりおかしな主張をしたりしてくることは想像に難くないし、信頼性に乏しく、研究者としての姿勢を欠き、やりとりに値しないと判断しました。

ここを読んで意味のあることは、事例(「観光」の用例の資料)だけだと思います。したがって、意味のないものに紙幅(画面)を割くことはやめることにしました。事例は別の記事に掲載します。

どういう問題がありどう判断したかのみをここに残し、他は削除することとしました。

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コメント

溝口周道様

友人からこのブログを紹介されて拝見しました。拝読後の感想を取り急ぎ書かせていただきました。

○戦前に巷で使われていた「観光」の意味について、朝日新聞の調査だけでは不十分との溝口氏の指摘はその通りですし、またその旨も論文等では、「朝日新聞・聞蔵」にみる、と断り書を入れるようにしています。読売新聞等今後の若手研究者のデータ分析に期待したいです。なお、詳細な調査結果は、2015年3月発行予定の帝京平成大学紀要に掲載します。それまでは一応概要でしか発表できないことをご理解ください。

○「観光」は行政用語としては比較的明確です。「国際観光局官制」制定時の鉄道省幹部による座談会記事等でも明らかに、観光の意味は「国際観光」「外客誘致」であり、国際をつけることはリダンダントだと鉄道省幹部は考えていたのですが、江木大臣に押し切られたと述べています。難しいのは外客誘致のために国内観光施設を整備するので、国内観光も入るのではという解釈です。私は沿革的に、日本人のために国内観光施設整備に財政資金を出すという建前は戦前では無理であったと思っています。国際観光局以外の鉄道省本体でホテル事業を実施し、日本人も利用していますが、あくまで外人用という建前であったと解釈しています。戦後も日本人用の施設整備に財政資金を使用することはしばらく始まらなく、当初は厚生省の国民宿舎等のソーシャルツーリズムから始まっていると思っています。観光ではなくツーリズムという用語を敢えて使用したのも役所間の問題があったのではと思われます。
○また、各省各局所管に敏感な設置法令において、通常「主として」という解釈は通常ありえません。公表されていない各省間の「覚書」でもむしろ制限するくらいです。でないと予算をどこがとる、又は負担すると言った問題にまで波及しますから。
○私の見解では、観光を含めて、研究者は行政用語に大きな影響を受けています。用語「ツーリズム」も「レクリエーション」も同様で、行政用語に使用された途端に、研究者も使用方法が収斂してゆきます。ただし、行政用語も、各省まちまちの段階もあります。閣議に配布される「白書類」は私の経験では、役所間で調整しないでだす慣行(勿論内閣法制局の審査もありません)でした。ただし大蔵省だけは予算に影響しますので調整が必要でした。
○建議書の用語も、建議ですから未調整もあろうかと思いますし、また「内外観光者」の意味も「国境」を超えることを前提としているのではないかと思われますので、ご確認ください。結果次第是は私も意見を変更しなければならないかもしれません。しかもこの「国境」概念が第一次大戦頃に確立した概念ですから、植民地等の扱いもあいまいです。日本人のための国内観光施設に政策を考える時代は、大正時代では早すぎると思っています。巷で明治大正時代に、国内観光を観光として使用していたか否かは、今後の研究を待ちたいと思いますが、意味が複数存在し、時間とともに収斂し、その後もまた変化していくのでしょう。
○私の理解では、法令による「観光」の意味は、戦後復興期に国内遊覧バス等が行政対象となってきたことにより、「国際観光」に加えて「国内観光」が含まれるようになってきたと考えています。しかしながら観光基本法制定時の衆議院法制局審査でも「観光」の法的定義付けができず、世間で使われている意味であるということですませたわけですから、そもそも「国際観光」云々を議論する以前の状態になってしまうと思っています。そこで観光概念をしようせず、人流概念を持ち出しているのです。
○世間で「観光」の意味がどのように変化してきたかについては、朝日新聞だけでは不十分です。同時に「tourist」「tourism」の西洋における概念の形成過程(特に国境を超える意味との関係)、それらがカタカナ「ツーリスト」「ツーリズム」になってゆく過程の分析もまだまだ不十分です。
○人流観光研究所HP及びブログに関連する資料等を掲載しておりますので併せてご覧いただければ幸いです。www.jinryu.jp

投稿: 寺前秀一 | 2014年12月11日 (木) 08時42分

朝日新聞記事データベース「聞蔵Ⅱ」は1879年から1989年までの大阪、東京の縮刷版を全文データベース化していますが、人力による資料つくりであることは間違いないですから、入力ミスがある可能性は否定できません。
また、同じ新聞の中でも、戦後は国際観光に限定して表現しているシニアー記者と、国内観光も含めているジュニアの社会部記事が混在しています。
しかし、国際観光局が設置されるまでは日本人の国内観光の意味で使用している記事は聞蔵ではヒットしませんでした。
溝口さんの記事をお示しいただき、再度調べてみたいと思いますが、どの程度記事が見受けられたのでしょうか。
朝日新聞記事データベースは有料なので大変かもしれませんが、研究目的に使用するには大変便利です。
また、朝日以外の記事については、言及しておりませんが、推測に間違いはないと思っていますので、他紙でどの程度国内観光で使用していたのか、資料を頂けるとありがたいです。
いずれにしろ、この問題は、資料を認識することが先決ですね。

投稿: 寺前秀一 | 2014年12月11日 (木) 13時49分

溝口氏の書きかけのお答えの最後のフレーズ「観光と視察が厳密に区別されていない」というくだりは重要で、観光の定義が明確でない点、何のために論じるかという点がはっきりしないで論じていても仕方がないと問題があるのです。従って私は外形的にとらまえられる「人流」を提唱させてもらっています。

朝日のデータベースも字句は「遊覧」としか記述されていなくても、キーワード検索では「観光」に分類しています。私としてはこまるのですが仕方がありません。

さて、「山形観光団の記事は、小樽電で、小樽を視察して札幌に向かうというような記事だったと記憶していますが、これは「観光」で検索されると思うのですが」というご指摘。早速検索してました。ご指摘の通り1909年5月4日東京朝日新聞朝刊に短い記事で掲載されていました。通し番号で275番目にヒットしました。○○観光団という記事はかなり多くヒットするのですが、ほとんどが訪日外国人あるいは外遊日本人の集団の記事ですから、私の見落としです。ただ、1909年9月12日にも下野観光団という表現があり内容は明らかに外国人集団なので、「山形の観光団」50名が日本人であるのかはわかりません。おそらく日本人だろうと思われますが、それ以前の274の記事は日本人の国内観光には使用していませんから、朝日新聞では、はじめて国内観光に使用した例となるかもしれません。しかしながら、その後の記事も、見落としが若干出るかもしれませんが、国内観光に使用している例はほとんどありませんから、朝日新聞で見る限り、日本語として観光は国内観光には使用していないと判断してかまわないと思っています。
これからはむしろ、読売新聞等の他の例の分析が進み、何時頃から日本人の国内観光に使用するようになっていったのかが解明されることが重要ではないかと思っています。
ある日を境に国内観光に使用され始めたというものではなく、徐々に用例が普及していくものでしょう。

溝口氏のご指摘により、研究に発展がみられましたので感謝申し上げます。「書きかけ」を一日も早く完成されますことを期待します。

投稿: 寺前秀一 | 2014年12月12日 (金) 07時37分

今回のやり取りは最終のものではありませんが、「観光」概念の発展に少し寄与するものではないかと期待しております。私にとっても考え方を整理する機会になりました。
○溝口氏のコメント
「観光」の語に国際とか国内とか区別した認識はなかった考えていますので、使われている状況で、国際とか、国内とか判断しているだけです。観光外人とか観光外客とか、外を入れた表現をするのは、そのため(区別した表現)だと思っています」
○寺前コメント
なるほどそういう思考方法はあり得るともいます。ただ、日本ではその前に「ツーリスト」がカタカナで使用され、その「ツーリスト」が内外無差別であったのか確認しなければならないと思います。そのために「tourist」の用例を分析する必要があると思っています。若い観光研究学者に期待しているのです。
聞蔵は広告も含めて全文データベース化しています。広告は固有名詞での「観光寺」等がヒットしますが、もう少し丁寧に分析してみましょう。ただし、広告なので文脈が不明なものがおおいと思い、私は初期のものを除き、最初から除外していました。
○溝口コメント
「国際観光局が設置され、他方で各地に○○観光協会がたくさんできました」「主流は国内の観光です」「「国際観光に限定して」などということはありえません」という指摘についてです。
○寺前コメント
私も実態として各地の協会が今日的意味での国内観光を無理に排除しているとは思っておりません。私はその後継団体の日本観光協会の理事長をさせてもらっていましたので、経緯はある程度頭に入っているつもりです。しかしながら、国際観光局が設立され、各地の全国に観光協会が設置400を超えたときに、中央組織を設置したのは、各地の外客誘致がバラバラで、外人が写真の撮る場合に、有料、無料で気分を害するのではないか、更にはスパイ扱いのところも出てきたことがあります。従って協会連合会を作り国際観光局から補助金(当然国際観光のため)を支給することとして整理しました。従って、京都観光協会をはじめ各地の観光協会は外客のために存在したと思われます。その協会が日本人に対しても事実上便宜を図ることはあったと思います。この地方観光協会の存在が国内観光の意味を強くしていったことは十分に想像できますので、戦後復興期以降に観光が国内観光の意味でも使用させることになったのではと思っています。
○溝口コメント
「大正期の建議は一つは「鉄道開通(参宮線のこと)セシヨリ漸次内外観光者ノ来遊増加セル」というもので、「内」は国内です。もう一つは資源の保護に関するもので「内外人士ノ遊覧、観光ノ目的物ト為リ或ハ師弟ノ教育・・・」というもので、
○寺前コメント
「これも国内」いうのも、原点にあたって調べる必要があります。観光に国内が入っているのなら「内外」という必要もないでしょう。単独で観光と言えば済むはずです。
更に、私は観光に国内を含めて使っていることを完全に否定しているのではなく、徐々に増えてきているのだと思っています。はじめから内外区分をしていないという考えはとっていないのです。観光の意味は国境を超える意味があり、次第に内外無差別になっていったと思っています。

○溝口コメント
「国内の観光は扱わないのか、それならどこで扱うのか、という疑問」
○寺前コメント
森羅万象すべてが行政官庁の所管に関わるという発想は、役人以上に役所的発想で、昔はそう考える人もいましたが、今では否定的です。中央省庁基本法ができた理由もそこにあります。司法の場合でも、裁判所が関与しないこともあります。なお、今日的意味での観光行政にあたる、国宝保存法(1929年)は文部省、国立公園法(1931年)は内務省が所管していました。いずれの法律も外貨獲得のための立法でした(提案理由説明)。商務省に貿易局ができたのは国際観光局ができた1930年です。鉄道省では国際観光局以外の担当部局が存在し、運輸に関する観光のうち、国際観光局が担当しないものを担当したということは考えられます。「主として」の解釈は極めて異例な解釈と思われます。
○溝口コメント
国際観光局発行の「観光祭の栞」の中にわかりやすく次のように説明してありました。「国際観光も国内観光もその精神が同じであるばかりでなく、その関係が密接で、切りはなすことができませんので、国際観光局は、広くこの二つを含む大きな観光事業に力を致して居るのであります。」当時としては、国際観光(外客誘致)の課題がはるかに大きいので、「「国際観光を主に扱う」という理解になると思います」と書いたわけです。
○寺前コメント

溝口氏の考えのもとはわかりました。「観光祭の栞」の位置づけが現段階でわかりませんが、書きすぎでしょうね。白書類が各省調整なしに出される例を記述しましたが、法令でも誤りは見受けられますから、間違いを記述していると私は思います。官制(設置法)で認められていないことを行うことは、行政法規違反で、それを堂々と記述することは私の理解を超えています。ただし、私も国際観光事業のため行った事業が国内観光にも活用される事実上の効果を否定しているのでは在りません。このような事実の積み重ねが戦後の観光解釈の拡大につながっていったのではと思っているのです。

投稿: 寺前秀一 | 2014年12月12日 (金) 15時33分

溝口さんとの議論は段々収斂してきています。
○溝口コメント
国際観光局『観光事業十年の回顧』、昭和15年
「国際観光局命名の由来」の中に、「・・・建議や答申に従へば国内的の仕事もこれから段々殖えるから観光局だけでよかろう、と云ふ意見が相当有力であったが、・・・」
「日本観光連盟」の中に、「対外観光宣伝と呼応して国内観光事業関係機関相互の連絡協調を図るため・・・日本観光地連合会を組織したが、その後昭和十一年十一月国際観光局、・・・、・・・、が主体となり日本観光連盟を組織した。」
国際観光局長 田誠氏序、日本旅行協会専務理事 高久甚之助述『観光事業の概要』、日本観光通信社発行、昭和13年
第一章 観光事業の意義
 一 国内観光事業
 二 国際観光事業
 三    ・
 四    ・
○寺前コメント
上記引用は、日本国内において、外国人誘致のための観光資源の整備(国立公園、国宝等)、宿泊施設の整備を図るということだと思います。国際観光は「対外観光宣伝」が中心という意味でしょう。
なお、外獲得のため、国内、国外において観光事業を展開するも、日本人のために国内において観光事業を振興するという発想の芽生えにはなったでしょう。このことが積み重なって戦後日本人のための国内観光事業という概念が発展していったのでしょう。それでも、戦後は、観光ではなく、「ソーシャル・ツーリズム」「レクリエーション」という用語から手をつけ始めています。

投稿: 寺前秀一 | 2014年12月13日 (土) 09時02分


朝日新聞記事データベースを用い、用語「観光」を使用した広告について検索してみました。1879から1989年までの記事(縮刷版掲載)で1542件ヒットしました。戦後のものがほとんどですが、戦前のヒット数も119存在しました。広告ですから「上野観光堂(社名)」「上村観光(人名)」のように固有名詞に使用されるものもありますが、観光団の参加者募集広告が大半です。

用例としては、1907年5月9日東京朝日新聞朝刊に掲載された、博文館発行の博覧会土産の絵葉書ー油絵「日本観光」ーの広告が典型的なものです。日本観光とあるからには日本人よりも外国人向けではないかと思いますが、日本語の広告なので効果があったのか不思議です。1909年7月13日東京朝日新聞朝刊にロシア人相手と思われる「競馬観覧兼観光船」広告、1911年2月23日東京朝日新聞朝刊に、帝国ホテルが受け付けるところの関西遊覧都観光団会員募集広告、1915年9月25日東京朝日新聞朝刊に、観光便覧「東京案内」の広告等がありますが、これらも外国人向けでしょう。微妙なのものとして、1916年8月2日東京朝日新聞朝刊に、鉄道省が出した佐渡観光臨時列車 の広告が掲載されています。日本語の新聞ですから外国人への宣伝に効果があったのかわかりませんし、日本人が応募してきた場合に拒絶することも考えられません。1926年7月17日東京朝日新聞朝刊に「強羅温泉 観光旅館」の広告がありますが、観光旅館とは驚いたことに固有名詞で、茶代廃止とうたっていますので、外国人相手であることがわかります。

朝日新聞のみの検索ですから、観光が国境を超える行動に使用されており、日本人の国内行動に関するものには使用されていないと断言することはできませんが、世の中で一般的に「観光」が使用される場合に、国境を超えるものという常識があったと推測できます。言葉は徐々に変化してゆきますから、誤用等から始まり次第に市民権を得てゆくことは十分に考えられます。むしろそのほうが一般的で、戦後復興期にいきなり日本人の国内行動を含めることとなったわけではないでしょう。

なお、「国の光りを見る」の「国」概念も時代背景で変化します。今日的な意味での国民国家の確立は、第一次世界大戦後であると解釈されているようです。日本にも、台湾、関東州、朝鮮等があり、外地、内地という言葉が存在しました。「内外」概念の発生です。樺太は内地として認識されていたようです(記憶違いかもしれませんが)。満州の扱いは今日では更に微妙です。

観光に遊覧の意味が加わってゆく経緯分析も今後の課題ですが、「文化」の用例が文化鍋、文化包丁といったように大衆化してゆく現象に見られるように、観光も大衆化してゆく過程で遊覧のニュアンスが強くなり、最終的には遊覧のニュアンスが主流になったのではないかと推測しています(証拠はありませんが)。遊覧の意味が主流になった時点で、皇太子殿下が海外に観光に出かけると言った明治期のような用例は不謹慎なものと感じられるようになったのでしょう。同時に国境を超えるといったニュアンスに限定されることもなくなっていったのではないかと思われます。この点は、日本に「tourist」「tourism」概念が入ってきた過程を分析しないと軽々には結論付けられないでしょう。

以上溝口氏のおかげで、頭の中の整理は進みました。
溝口氏には、是非そのバイタリティで読売新聞等の分析を進めていただければありがたいと思っています。
法令等の分析は、バックグランドの知識も必要ですから私の意見を求めていただければ、何時でもお手伝いします。英語のtourist、Tourismの分析を専門に行ってくれる若手がいれば、全体の集大成ができると思っています。

投稿: 寺前秀一 | 2014年12月13日 (土) 10時29分

溝口コメントへの意見

ようやく溝口氏から私の求めていた資料が出されてきました。
巷で「観光」が日本人の国内移動を対象に絞って使用している可能性がある用例を示していただいたようです。私の想像より少し早い時期でしたが、例外的な使用例として存在した可能性があることがわかりました

ただし、今のところ「観光」が「内外無差別の使用」から始まったというより、国境を越えて移動した「観光」が、次第に日本人の国内移動をも含むものとしても使用されるようになっていったという理解になるでしょう。その兆しが、溝口氏の提示された例にみられるということでしょう。

しかしながら、それで「世間で観光が日本人の国内移動を含むもの」として「通常」使われるようになったといえるのかは、まだ早いのではないでしょうか。読売新聞等を含めもう少し補強する資料が量的にも必要ではないかと思われます。

投稿: 寺前秀一 | 2014年12月13日 (土) 15時14分

江戸時代の用例は私は専門家でもありませんし、江戸時代に近代的な観光概念が誕生しているとは思えませんので半信半疑です。縁起の良い言葉として観光を使用しているのではないでしょうか。しかも、何度も申し上げているように、江戸時代には国民国家概念も誕生していません。
江戸時代の国は国民国家ではなく、藩単位のものでしょう。その国家を超えて往来する意味で使用する正統法の「観光」に対して誤用する用例が次第に増加して、遊覧との区別が不確かになっていったのだと思っています。
大正期の柳田国男も観光と遊覧を区別して使用しておられます。柳田国男の著作によれば、江戸時代は定住社会がまだ完成していないような印象を持たれますので、観光概念が成立していたとは考えられないですが、理解不足でしょうか。

投稿: 寺前秀一 | 2014年12月22日 (月) 21時39分

私なりのまとめ

溝口さんのご指摘で私も頭の中の整理が進みました。感謝しています。

○江戸時代のことは私にはわかりませんが用語「遊覧」及び用語「観光」が普通名詞として存在したようです(詳細及びその概念は承知していませんが)。
○明治大正時代初期には朝日新聞及び柳田国男等有識者は「観光」概念に日本人の国内移動に関わることは含めないで使用していた。
○そこで、「観光」は「国の光りを見にゆく」ことから、日本人及び外国人がの国」境を超えるの意味を忠実に認識している者が使用し、「遊覧」は海外に日本人が出かけることがなかった時代からの用例に従い国内移動を念頭に使用していたという「仮説」を一応たてることが可能である。
○外来語の「ツーリスト」の発生、使用は現段階では不明
○しかしながら、人の往来が増加するに従い、両者を厳密に区別して使用することが次第に減少していったのではないか。このあたりの用例が溝口氏の指摘されている明治大正時代のものではないかと思われる。
○そこに、外貨獲得政策のため法令用語として初めて用語「観光」が使用された。なお、4万人の外客のもたらす外貨は当時の輸出項目の第4位にあたり大きなものであった。その外客内訳は中国人が第1位であった。
○外客用に、国立公園、国宝等を中心に日本国内の観光事業の振興が政策的にはかられることとなったが、実際の効果として日本人の国内移動にも観光概念が大きく入り込むきっかけをつくったと言える。観光土産もその例であろう。
○戦時の日本人の聖地巡礼も実質観光であり、大きな人数が移動した。この点の分析も今後の課題ではないか
○戦後も外客誘致が最大の政策課題であり、日本人の国内移動は占領が終了する頃まで観光概念に入り込む余地が少なかったといえる
○占領軍用の「観光」バスを復興した日本人も使用するようになり、用語「観光」も内外無差別に使用するように変化していった。
○現代では「観光」は内外無差別に使用されているが、概念が不明確であるとして「ツーリズム」を使用する者も増加している
○しかしながら「ツーリズム」は戦後になってから(官庁用語「ソーシャルツーリズム」あたりから)使用されていると思われ、「観光」と「ツーリズム」が相互に訳語として使用されるのは最近のことである。
歴史的には、「ツーリズム」よりは「ツーリスト」の方が「観光」の訳語として使用されていたとも考えられる

以上が私の理解であります。

今後の課題として
明治以前の用語「観光」(この点は溝口氏が第一人者であり、私の出る幕はなさそうです)
読売新聞の用例調査
「tourist」「tourism」の調査
台湾、韓国、北朝鮮における「観光」概念の変化
等があります。

私のホームページ(www.jinryu.jp)でも議論を発展させてゆきたいと思っています。
溝口さんには大変感謝しております。

なお、Wikipediaの記述は私の責任ではありませんが、ご指摘のように誤りが散見されます

投稿: 寺前秀一 | 2014年12月23日 (火) 08時50分

追加

私のブログで詳しく説明しますが、「内外」で観光宣伝を行うことの目的は、海外はもとより、日本国内、特に東京で外国人及び外国人ガイドに宣伝することを考えているのでしょう。
法令を作成する仕事にも携わってきましたが、頂いた資料を読む限り、「内外」が第1項にしかついていませんから「観光」は国境を越える移動の意味で使用しているのでしょう。それ以外の項では裸で使っていますが、観光に国内移動の意味が含まれるのであれば、第1項で「内外」をつける必要はないということになり、国の場合は内閣法制局審査が通過しないと思われます。

それよりはまだ、処和4年の『御大典記念京都観光案内』の方が国内移動に使用していた可能性があると思われます。時代祭等の京都市の資料を調べてみたいと思っているくらいです。そして、もし使い始めたとしたら、何故京都が通常使われる「観光」ではない使い方を始めたのか、考えてみたいと持っているくらいです。

投稿: 寺前秀一 | 2014年12月23日 (火) 16時07分

外国人のための観光事業が、事実上日本人のために使われているということを否定してはおりません。私の初期のコメントにも書かせていただきました。ご確認ください。特に京都はそうだったのでしょう。だから「観光」の意味が徐々に変化してきたのでしょうね。「国」の光りを見るの意味に使われていたところに遊覧の意味が入り込んできて意味が変化していったのだと思っています。その時期がいつであったかは、徐々に変化してゆくのでしょうが、社会的に認知を受ける時点は戦後ではないでしょうか。
皇太子殿下の外遊を「観光」と表現する時代は、日本人の国内移動を含んでいたとは考えにくいのではないでしょうか。
ここまで来ると、私と溝口さんの間には大きな基本認識にはずれがないように思います。

投稿: 寺前秀一 | 2014年12月23日 (火) 21時32分

いろいろ資料を提出していただき感謝しております。

まず、外国人の訪日に限定して「観光」を使用しているということはありませんので、ご理解ください。あくまで語源の影響を受けて「国」境を超える意味で使用することからはじまっていると仮説を立て主張しているのです。溝口さんのように「内外無差別」からスタートしているとアプリオリに限定しないで考えているのです。

それから、事実行為としての日本人のための情報提供を、今日のJNTOの海外観光宣伝事務所でも行っています。だからといって日本人の為の情報提供業務を外国で行っているとはされていません(予算も権能もありません)。

用例としての「観光」を日本人の国内移動を対象にしよいしている例のご提示を具体的に頂いた件は、大変参考になります。溝口さんだけではなく、そのほかの用例も別の方からも頂いております。だからといってはじめから内外無差別とも言っておられませんが。

皇后陛下の用例は、具体的な文脈を知りませんが、身分の高い人から使用始めたのではないかと思われ、更に深く分析する必要を感じました。当時は「観光」概念そのものがまだ確立していなかったのかもしれません。そこのところはわかりません。ツーリストを使用していた時代ですから。

いずれにしろ、日本人軍人の海外視察をはじめ、官庁用語や柳田国男等は、日本人の国内移動を含まない形で「観光」使用しております(国内は「遊覧」を使用)から、そのことの説明も考えないといけないでしょう。

この議論の目的は、「観光」と「遊覧」が別々に使用されていた過程から、ツーリストが日本語に入りこんできて、いつの間にか、観光に遊覧概念が入り込んでゆき、それとともに日本人の国内移動概念が入り込んできたと考えております。1930年代国際観光ホテルを整備していた時にも、外客だけでは経営が成り立たないので日本人遊覧客を如何に確保するかという意識がありました。それが戦後は強く出てきて内外無差別の「観光」になったと思っています。

言葉の用例は、どの程度使用されていたということでしょう。数量的な分析を若い学者が行ってくれて、「観光」概念がどのように変化してきたか立証する課題が残されています。

今回の議論は今後の議論の展開にヒントになることを多く気づかしてくれましたので感謝しております。


投稿: 寺前秀一 | 2014年12月25日 (木) 20時33分

江戸時代にどのような環境で「観光」が使用されていたかは溝口さんが詳しいでしょうから、素人の私はコメントはできませんが、徳川300年の間言葉の意味が不変であったとは思えませんし(不変であるとするとその方がが異常でしょう)、朝日新聞の初期は固有名詞しか現れないのも、江戸時代とは意味がまた変わってきたのではないかと素人的には思っています。同様に国の意味も変わっていると考えています。

私の仮説への理解が得られないのは私の力量不足でしょう。他人の説を引用するのは本意ではありませんが、宇田正氏は『鉄道日本文化史考』(思文閣出版2007年pp173-185)「わが国の鉄道史と「観光」の理念ー巡礼・遊覧・観光」の中において、p.182「『観光」という言葉がこのときわが国鉄道業界で初めて用いられ、しかもそれは「国際」という限定をともなうものであった」「観光という旅行目的が当時のわが国においてはもっぱら外国人旅行者に固有のものと意識されていたことがうかがえる」pp184-85「それらの旅行はまさしく「巡礼」習俗に根ざす「遊覧」「回遊」「名所旧跡めぐり」という字句表現になっている。それが昭和10年代に入ると、国内旅行でありながら「観光」の字句表現が用いられようになるのが興味ふかい。こうして日本人の旅行文化にも「観光」という異文化間交流的なイメージが定着し、広く海外に向けて国際的に開けてゆく行くかに見えたが、やがて戦争の強化と敗戦によってその流れは中断された」と記述されています。宇田氏は柳田国男の巡礼本意の鉄道整備論の影響を強く受けていると推測されます。
また、国内観光の用例として宇田氏は(7)「加賀江沼観光御案内」(観光社出版部、昭和10年9月)「観光の和歌山」(同右)「愛知の毛織と観光」(昭和12年)をあげておられますが、大枠として国内観光の意味は戦後に確立したとも考えておられています。

議論の打開策は、私は明治期に入りこんできた「ツーリズム」にあるのではないかと根拠はありませんが思っています。いずれ時間をかけて分析してみたいと思っています。

投稿: 寺前秀一 | 2014年12月26日 (金) 21時49分

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