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2009年7月 9日 (木)

「観光」の語源:『易経』 観卦 「観国之光」 

2010年10月22日お知らせ

「観光」の語源について こちらもごらんください   こちら

2014年3月21日お知らせ

こちらに少し詳しいものを掲載しています。(pdf)

     → 現在使われている「観光」の語の語源について

2010年10月20日修正 2011年1月10日再修正

※※※「観光」という言葉 1~4 に補足修正して、一つにまとめました※※※
      (今後書き加えるかもしれませんが、ひとまず掲載します)

<<「観光」の語源>>

 「観光」という言葉は、中国の古典の『易経(周易)』の中の観卦の爻辞の一つ「六四 観国之光 利用賓于王(国の光を観る もって王に賓たるに利し[よろし])」の「観国之光」から生まれました。

 「観光」を『易経』からとったということがわかる記述している史料はあまりありませんが、17世紀後半の史料には、そのことが記述されています。また、そのように記述されていなくても、記述された内容から判断して、『易経』からとったと判断して間違いないと思われるものも少なくありません。したがって、「観光」の語源は、『易経』にある「観国之光」ということになります(前記、「観光」の語源について 参照)。

 『易経』の観卦の爻辞には次の六つ(六爻)があります。頭の部分にある「六、九」は陰陽を表していて、「初、二、三、四、五、上」は位を表しています。「観光」の語源は4番目の爻辞です(書き下し文については別の読み方の表記もあるようです)。

  初六 童観 小人无咎 君子吝
  六二 闚観 利女貞
  六三 観我生進退
  六四 観国之光 利用賓于王 (国の光を観る もって王に賓たるによろし)
  九五 観我生 君子无咎
  上九 観其生 君子无咎

 『易経』は、易の本文と十翼(上彖伝、下彖伝、上象伝、下象伝、上繋辞伝、下繋辞伝、文言伝、説卦伝、序卦伝、雑卦伝)と呼ばれる解説書(伝)で構成されています。その中の「上象伝」に観卦の各爻辞に対応した箇所があります。

「上象伝」より

  初六童觀 小人道也
  闚觀、女貞 亦可醜也
  觀我生進退 未失道也
  觀國之光 尙賓也 (国の光を観るとは、賓たらんことを尚(こひねがふ)なり)
  觀我生 觀民也
  觀其生 志未平也

現在出版されている易経の解説書の多くは、編集で、象伝を本文の該当する箇所に挟み込んでいます。 

<<「観国之光」(国の光を観る)とは>>

 『易経』について解説した本はたくさんあるのでそれを読めば「観国之光 利用賓于王」の意味はわかると思います。ただ、1冊だけだと説明が不十分な場合や、あるいは特異な解説に当たる可能性もあるので、数冊読んでみることをお薦めします。その際、朱子その他の中国の学者の注釈が取り上げられているものがあると、より理解できると思います。私は10冊ほど読んで見ましたが、何冊か見れば専門家でなくても理解できると思います。
 特に「観光」の語源という意味では、現在使われている「観光」の語源という意味では、江戸時代における解釈、つまり「程朱学(朱子学)」における解釈を取り上げるのが妥当だと思われます。

 朱子学(程伝)の解釈を紹介・解説しているものは、本田済が書いています。手軽なものである朝日文庫にある説明を上げておきます。

◆本田済:『中国古典選一 易(上)』、朝日文庫、1978

「六四は最も九五に接近している。九五は陽剛で中正、徳高き王者である。六四は、王者の徳の輝きを身近に観ることができる。君の光を観るといわずに、国の光を観るというのは、一国の風俗の美を観ることで、その君の徳は最もよく察知できるからである(程氏)。・・・六四は従順な性格、仕えるにふさわしい(程氏)。[象伝]士たるもの輝くばかりに徳盛んな国を見ては、その君に仕えることを願わずにはいられない。」

※『程傳』、あるいは「程氏」とは、北宋の「程頤(ていい)」が著した『周易程氏伝』(程頤が伊川先生と称されたことから『伊川易伝』ともいう)のこと。日本では「朱子学」ということもありますが正確には「程朱学」で、程頤を朱熹(朱子)は先駆者と位置づけています。『易』の解釈について、朱熹は、まず自分の『周易本義』を読むことを進め、より深い意味については『程傳』を読むようにすすめています。

※朱子学では、王道、つまり、「徳のある者(王)が国を治める」ことを正しい道としています。それで「国の盛徳光輝を観見する」ということになるわけです。「武力により国を支配する」覇道とは異なります。以前、不注意に「その国の威光を観察する」(『大漢語林』)という解説を載せていましたが、「威光」という表現は「徳の現れ」を表す言葉としては適切でないので削除しました。

『程傳』の原文を載せておきます。書き下し文は、本田済『易経講座』(明徳出版社)より。

觀國之光利用賓于王

觀莫明於近五以剛陽中正居尊位聖賢之君也 四切近之觀見其道故云觀國之光觀見國之盛徳光輝也 不指君之身而云國者在人君而言豈止觀其行一身乎 當觀天下之政化則人君之道徳可見矣 四雖陰柔而巽躰居正切近於五觀見而能順従者也 利用賓于王夫聖明在上則懐抱才徳之人皆願進於朝廷輔戴之以康済天下 四既觀見人君之徳国家之治光華盛美所宜賓于王朝效其智力上輔於君以施澤天下故云利用賓于王也 古者有賢徳之人則人君賓禮之故士之仕進於王朝則謂之賓

観は近きより明らかなるは莫し。五は剛陽中正を以て尊位に居る。聖賢の君なり。四は切に之に近し。其の道を観見す。故に云う国の光を観ると。国の盛徳光輝を観見するなり。君の身を指さずして、国と云うは、人君に在りて言えば、豈に止に其の一身に行うを観んや。当に天下の政化を観るべし。則ち人君の道徳見る可し。四は陰柔と雖も、巽体、正に居る。切に五に近し。観見して能く順従する者なり。用て王に賓たるに利あり。夫れ聖明、上に在れば、則ち才徳を懐抱するの人、皆な朝廷に進み、之を輔戴し、以て天下を康済せんと願う。四は既に人君の徳・国家の治の光華盛美なるを観見す。宜しく王朝に賓し、其の智力を效し、上は君を輔け、、以て沢を天下に施すべし。故に云う用て王に賓たるに利ありと。古者、賢徳有るの人は、則ち人君之を賓礼す。故に士の王朝に仕進すれば、則ち之を賓と謂う。

象曰觀國之光尚賓也

君子懐負才業志在乎兼善天下然有巻懐自守者盖時无明君莫能用其道不徳巳也豈君子之志哉故孟子曰中天下而立定四海之民君子樂之既觀見國之盛徳光華古人所謂非常之遇也所以志願登進王朝以行其道故云觀國之光尚賓也 尚謂志尚 其志意願慕賓于王朝也

君子、才業を懐負し志兼ねて天下を善くするに在り。然れども巻懐自ら守る者有り。盖し時に明君无く、能く其の道を用うるもの莫し。むを徳ざるなり。豈に君子の志ならんや。故に孟子曰く「天下に中して立ち、四海の民を定む。君子これを樂しむ」と。既に国の盛徳光華観見す。古人の所謂非常の遇なり。所以に志王朝に登進して以て其の道を行わんと願う。故に云う「国の光を観る。賓たらんと尚うなり。「尚」とは志尚するを謂う。其の志意王朝に賓たるを願い慕うなり。

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コメント

光とは王の威光ではありません。国民が幸せに生活している様子などを指すだろうと思います。つまり、目に見えない輝きです。それを感じ取ることができれば、その王に仕えてもよろしいです。観光は第三次産業で売っているのは目に見えないサービスです。(台湾から)

投稿: 林俊慧( リン シュン ケイ ) | 2009年7月 9日 (木) 14時25分

ご指摘ありがとうございます。
『大漢語林』の①の説明がおかしいですね。②の「転じて」のところに意識がいっていたため見落としていました。
修正しておきます。
「光」とは結果として現れるもので、目に見えるものや情報などを通して感じられる輝き、というようなものですね。
この点は、林さんと同じとらえ方ではないかと思います。
不備を修正できました。ありがとうございました。

投稿: 林俊慧さんへ | 2009年7月 9日 (木) 15時40分

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