« 「観光」という言葉 こぼれ話 3 | トップページ | 「観光」の語源に関連する記述に見られる問題点 »

2009年5月18日 (月)

「観光」という言葉 こぼれ話

<<観光丸、咸臨丸、朝陽丸>>

●観光丸:
 安政二年(1855)八月にオランダ国王から幕府に贈られたスンビン号という蒸気船軍艦で、翌年四月に「観光丸」と名付けなれた。なぜそう名付けられたか、という記録は見あたらない。献納されたスンビン号は長崎で蒸気船の伝習に用いられた。
 スンビン号(観光丸)は、幕府にとって重要なものであったが、中古船である。
 なお。スンビン号は、嘉永七(安政元)年(1854)に、オランダから幕府に派遣されて、蒸気船の伝習等に用いられていた。

●咸臨丸と朝陽丸:
 幕府はペリー来航後程なくオランダに軍艦2隻を発注した。安政四年(1857)八月にそのうちの一隻、ヤッパン(日本)号が入津する。これが後に咸臨丸と名付けられるが、史料を欠くため、いつ名付けられたかは不明である。そして、翌安政五年(1858)五月に、エド(江戸)号が長崎に入津する。これが後に朝陽丸と名付けられるが、咸臨丸と同様史料を欠くため、いつ名付けられたかは不明である。
 つまり、咸臨丸と朝陽丸は、新造の姉妹艦である。

余談ですが、朝陽丸と同じ年の七月に、江戸で、イギリスよりエンピロル号が幕府に献上されています。これは、蟠竜丸と名付けられています。

※観光関係の専門家が書いたものや話を記録したものを見ると、観光丸と咸臨丸を姉妹船としたり、幕府がオランダに発注した2隻の軍艦を観光丸と咸臨丸としたり、というような謝った記述が時折見られます。史実を確認せず(調べず)に書いているということに問題があるということなのですが、根拠が定かではない誰かが書いたものからとっていたり、勝手な思い込みで書いていたり、というようなところに問題があるように思います。

※観光丸は練習船として使われていました。江戸への航海もありますが、その間は海の上です。観光丸という名前を大きく掲げていたわけではありませんから、見たからといって、観光丸という名前がわかるわけではありません。
現代のようにマスコミが発達しているわけではありませんから、観光丸の名前を知っていたのは、せいぜい関係者やそれに近い周辺の者に限られるでしょうし、軍艦の名前ですから、よほど知的好奇心が旺盛でなければ、その意味を問うことはないと思います。
「観光」という言葉の歴史をひもとくときに、観光丸にこだわり大きな意味を持たせようとすることには無理があると思います。

●ポーハタン号(アメリカ)の随行船:
 結果としては、咸臨丸が随行船として太平洋を横断、往復したが、最初から咸臨丸に決まっていたわけではない。
 当初、勝海舟らは、朝陽丸が適当と選定して準備を進めていた。(この時点では、咸臨丸は品川の海に繋留されていなかったため、候補に入っていなかった。)
 ところがしばらくして、軍艦奉行井上信州が「朝陽丸は船形小にして荷物乗組充分ならず、観光丸はやや大形なり。これを以て今度の航海にあつべき」と、ただ大きいからということだけで観光丸に変えてしまった。
 しかしその後に、アメリカ側から、観光丸は旧式の船なので危険であるとの進言があり、再び変更になる。が、このとき朝陽丸は江戸にいなかったため、江戸にいた咸臨丸に役目がまわってきた。

※咸臨丸が太平洋を渡ったのは、偶然、歴史のいたずらといえるかもしれません。観光丸が選ばれなかったのは、旧式で危険ということなので、必然といえるでしょう。
 これも観光関係の方で、「観光丸が太平洋を渡っていたかもしれない」というように書かれている方がたまにいますが、遭難、沈没の危険が高かったわけですから、あまりりこうな推察とはいえないでしょう。

以上については、主に勝海舟の『海軍歴史』を参考にしています。
船の名前は、後に「丸」がとれます。海軍歴史の中では、観光艦、咸臨艦、朝陽艦と書かれています。

|

« 「観光」という言葉 こぼれ話 3 | トップページ | 「観光」の語源に関連する記述に見られる問題点 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/114690/45426545

この記事へのトラックバック一覧です: 「観光」という言葉 こぼれ話:

« 「観光」という言葉 こぼれ話 3 | トップページ | 「観光」の語源に関連する記述に見られる問題点 »