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2006年2月28日 (火)

観光地の俗化

『東海道人と文化の万華鏡』(中西進ほか、ウェッジ、2003)の中で、板坂耀子氏が大田南畝の『改元紀行』の中の次のような箇所を紹介しています。『改元紀行』は「大田南畝全集 第8巻(岩波書店)」に収録されています。下記の文は、これを見ながら、同じ箇所を私が抜き出したものです。

「大磯の宿を過て」(中略)「橋をわたりて、かの三千風[大淀三千風]がいとなみしといふ鴫立庵にいり、西行法師の像をみる。」(中略)「西行の杖なりとてあるは、なくてもありなん。例の三千風がかな文、かたへの石にゑりてたてり。笈さがしといへるもの見侍りし事ありしに、三千風が歌に、

  ありし世の鴫(しぎ)の羽おとはさもなくていまは沢辺に馬駕籠ぞたつ

といへるも中々まことの風情ならめ。すこし興さめたる心地して、西行堂のしりへより海づらをみわたせば、げにこゆるぎのいその波、たちさりがたき処なり。此庵なからましかば、あはれさもまさりぬべし。」

「西行の杖」といっているものは、「ない方がいいなぁ。」と言っています。どうせ偽物なんだからと思っているわけです。また、「庵の後ろに出て海を眺めたら、いい景色で、この庵がなかったらもっといいのに」とも言っています。

これに対し、三千風の歌にある「昔の鴫の飛ぶ風景はないけれども、今は海辺に馬方や駕籠かきが客待ちをしているだけ」というような様子の方が、かえってありのままの風情のようでよい、と言っています。

観光地の俗化の要因の一つは、本物でない余計なものがつけくわえられること、それによって観光者の想像する楽しみを損なってしまうこと、などにあるといえるでしょう。

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コメント

観光地のプランナーとして身の引き締まる想い・・・?。ですねェ。
観光関連のコンサルタントでありながら、観光地に行くこともあまり無いのは、魅力をあまり感じないからで、その魅力の大元となっているのは、【俗化】していない魅力なのでしょう。
もちろん、観光地の魅力とはそれだけではないと思いますが。
観光地には、計画し実施することで失われるものと、観光地としての利便性が高まるものとが同時に発生します。失われるものが【俗化】と呼ばれ、利便性などが高まるものが【好例】として視察対象となるのでしょうか。
コンサルタントやプランナーはそのバランスを見極められないといけないのでしょうね。
たいがい、俗化で失われるものは、その観光的容量が非常に小さいものです。観光キャパシティを見極められないと、持続可能な観光地もあり得なさそうですね。こんど観光地の計画論を出すなら、観光的キャパシティ論を入れましょう!!

投稿: uegaki | 2006年3月 4日 (土) 07時50分

観光地づくり、観光地計画で取り組む方向として考慮すべき観点は、観光対象の価値を高める、付加価値をつける、新たな価値を創造する、などだと思います。
「価値を高める」には、例えば、対象がよく見えるようにする、見やすくする、理解しやすくする、などがあるでしょう。「付加価値をつける」は、例えば組み合わせによる魅力づけがあります。「新たな価値を創造する」には、例えば、古い建造物を博物的に展示するのではなく、建造物の特徴や雰囲気を活かして新しい使い方を提案するようなことがあげられます。

もう一方に、体験の質をどう維持するか、という問題があり、これに利用の仕方のコントロール、キャパシティの問題などが関係してきます。キャパシティの話は、また別の稿で書きましょう。

投稿: for pleasure | 2006年3月 5日 (日) 18時15分

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