2016年6月28日 (火)

このブログについて

旅と観光研究室 溝口周道 の ブログです。

「旅と観光研究室」のホームページは削除したので、案内をこのブログ内に掲載します(工事中)。

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※返信は、別のアドレス(溝口周道のアドレス)から送信します。
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※※※※※ このブログのタイトルについて ※※※※※

検索フレーズに「観光稿」が出ていることがあります。このブログを探してくれているのなら嬉しいことですが、元陳孚撰の『觀光稾(観光稿)』を探しているとしたら、余計な情報としてこのブログが出てくることになります。

その場合は、検索ワードに「元」とか「陳孚」を加えて検索してみてください。

もっとも、そうしてもあまり情報は得られないかもしれません。
原文を見たい方は、「漢籍 テキスト」で古典漢文のデータベースを検索し、そこから探すのが一つの方法です。また、直接文献を見たいのなら、私も見ましたが、国立国会図書館で見られます。国会図書館のホームページの一般検索で「和古書・漢籍」でタイトル「観光」で検索すると『元詩選・・・』という文献があり、そこに所収されています。

このブログのタイトルは、「観光」について書いていることと、「稿」という字には「詩文のしたがき」というような意味があることからつけたものです。ブログは、修正したり書き換えたりするので、刊本とは違い「稿」があっているのかな、という程度でつけました。
陳孚撰『觀光稾』から表現を借りて字体を現代のものに変えていますが、内容は無関係です。言うまでもないと思いますが、現在使っている「観光」という言葉と、古典に見られる「觀光」とは意味が異なるからです。

※※※※※ お知らせ ※※※※※

<<観光の語源に関連する記事>>

「観光」という言葉について、「観光」の語源について、問合せをいただくことがあります。
観光学の文献を見ても、インターネットで検索しても、まともな情報が得られないからです。

そのような状況は好ましくないので、2010年12月5日の日本観光研究学会第25回全国大会で発表しました(より詳しい内容のものもリンクしてあります)。発表論文集に掲載されたものの内容を下記 「観光」の語源について に掲載しています。その他の語源に関連する記事もあげておきます。

  「観光」の語源について

  「観光」の語源:『易経』 観卦 「観国之光」

  「観光」の語源に関連する記述に見られる問題点

  「觀」の意味

<<「観国之光」から現在につながる「観光」へ>>

  「観国之光」から現在につながる「観光」へ-それを捉える考え方

  「観国之光」と都見物

  喜賓会で用いられた「観光」

  『単騎遠征録』(明治27年)と『大阪新繁昌記』(明治29年)

  東京朝日新聞 明治30年9月5日 箱根温泉広告

  東京朝日新聞 明治36年12月24日 近県旅行の栞

  薄田泣菫と山田寅之助の想像力

  資料掲載:東京朝日新聞広告 6件

  資料掲載:戦前の京都市観光課の事業

  資料掲載:地方観光協会、保勝会 『観光事業の話』 昭和10年4月 国際観光局 より

  いくつかの戦前の資料から 「観光」

  「観光」を誌名に含む、戦前の観光の雑誌類

  「観光」と「アウトドアレクリエーション」

  Wikipediaの「観光」を見たら ・・・おかしなことが書いてあった。
  寺前秀一氏のいい加減な調査によるおかしな主張と同じ内容のものが書かれています。(2017.1.6現在)

<<その他の記事>>

  「観光」という言葉 こぼれ話

  不易流行

  適正収容力・地域容量       続:適正収容力・地域容量

  観光地の俗化           日本三景

  七里四方            人(牛)が生み出した自然の風景

  100選              書写山円教寺

  湯YOUパーク         鳥瞰図絵師 吉田初三郎

  平安貴族女性の物詣     生垣にみる地域性

  夏の庭             借景

  地域個性・地域らしさ      名物

  道の駅と日帰り温泉       道の駅とトイレ

  古代ローマの聖職者の旅行

  観光旅行の効果          観光のはじまり

  山村の危機管理          観光客向け料金

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現在使われている「観光」の語の語源について

首記の論文を画像でここに掲載します。

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2015年8月 8日 (土)

いくつかの戦前の資料から 「観光」

『御大典記念京都観光案内』 発行者 佐々木武 印刷所 京都日出新聞社 発行所 くろふね図案社 昭和4年

「巻頭に」の中に、「・・・名実ともに真の 『御大典記念京都観光案内』として、最も平易に一般の人々へ京都を紹介する絶好の著述であることを自薦して憚らないつもりでございます。・・・」

案内書なので「観光」の語の使用は少ないですが次のようなものがあります。

「観光の日程と順序」という節に「名所旧跡の多い京都の観光は短時日に全部を廻ることは無理ですが、・・・」

奥付の頁に「本書の最後に附してあります白紙四頁は観光者が御気付のことなり或ひは覚書などを記録されるためのものとして・・・」

『観光祭の栞』 国際観光局 昭和12年

「国際観光も国内観光もその精神が同じであるばかりでなく、その関係が密接で、切りはなすことができませんので、国際観光局は、広くこの二つを含む大きな観光事業に力を致して居るのであります。」

『観光事業の概要』 国際観光局長 田誠氏序、日本旅行協会専務理事 高久甚之助述 日本観光通信社発行、昭和13年

第一章 観光事業の意義
 一 国内観光事業
 二 国際観光事業
 三    ・
 四    ・

一 国内観光事業

 観光事業と云ふものゝ本当の意味は何であるか。何う云ふことを目的とし、之が社会的に何んな効果を齎すか。先づこの点から申しませう。観光事業は結局旅客を誘致する仕事、即ち旅行を奨励する仕事であります。
 旅行を奨励し、旅客を誘致すると云ふことを国内的に考えると、昔の封建時代では、各人他地方へ出かける機会が少いから、一般に限界が狭くなり、生活内容の豊富を期することが出来ない。然し盛んに往来することが出来るならば、吾々は先づ国家社会の一員であると云ふ認識を深めることが出来る。又他地方を旅行することに依って見聞を拡めるから修養にもなり、学問にもなるのである。古い諺にも『可愛い子には旅をさせよ』と云ふことがあるが、旅に出て異つた人情、風俗に接し、大自然に抱かれ、自己の知らない文化に接して、新しい知識を吸収することは修養上、学問上は勿論、保健上にも大変意義があるのであります。

二 国際観光事業

 旅行は又これを国際的に申せば・・・(以下略)

『観光事業十年の回顧』 国際観光局 昭和15年

「国際観光局命名の由来」の中に、「・・・建議や答申に従へば国内的の仕事もこれから段々殖えるから観光局だけでよかろう、と云ふ意見が相当有力であったが、・・・」

「日本観光連盟」の中に、「対外観光宣伝と呼応して国内観光事業関係機関相互の連絡協調を図るため・・・日本観光地連合会を組織したが、その後昭和十一年十一月国際観光局、・・・、・・・、が主体となり日本観光連盟を組織した。」

(2014.12)に掲載したものを転記

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2015年8月 6日 (木)

「観光」を誌名に含む、戦前の観光の雑誌類

ふと思ったこと。観光をして観光をする人を呼ぶ。観光が光を示すという[おかしな]意味を持つのなら、こういう文があり得るのだろうか。
余談はさておき。

明治10年頃に創刊された『観光小誌』は詩歌雑輯で、明治13年創刊された『観光雑誌』は教育衛生に関するもののようで、観光とは関係がありません。

既に紹介した、吉田初三郎の観光社から発行された『KWANKO(観光)』・『観光春秋』より後のもので、1冊以上現物を見たものを紹介します。
国際観光協会による『国際観光』(後に『観光』:国際観光協会・日本観光連盟)は除きます。

『観光』 京都観光社発行 昭和3年創刊

国際 観光』 国際観光株式会社(同社内国際観光協会)発行 (昭和3年創刊 ※巻数からの推定)
  ※「国際」の文字は小さく書かれています。「宣言」の中では「雑誌『観光』の発行」と謳われています。
  ※「観光旅行会」という旅行倶楽部を組織しています。

『観光』 ツーリスト・タイムス社発行 (昭和7年創刊 ※巻数からの推定)

『観光世界』 日本観光時報社・日本観光協会発行 (昭和7年創刊 ※巻数からの推定)
  ※「日本観光協会」は旅行倶楽部です。

『観光の九州』 観光の九州社発行(九州旅館組合連合会機関誌) 昭和7年創刊

『観光』 名古屋旅行協会(名古屋観光事業株式会社内)発行 (昭和11年創刊 ※巻数からの推定)

<鉄道省の地方鉄道局発行のグラフ誌>

『観光ニュース』 大阪鉄道局発行 昭和9年創刊

『観光グラフ』 名古屋鉄道局発行 (昭和11年創刊 ※号数からの推定) 

『新鉄の観光』 新潟鉄道局発行 (昭和12年創刊 ※号数からの推定) 

上記からだけでも、観光が盛んだったことがうかがえます。

(2015.8.6)

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2015年8月 5日 (水)

薄田泣菫と山田寅之助の想像力

明治30年代に少しずつ広がり始めた「観光」の語を伴った観光ですが、40年代に入ると、注目すべき用例を見いだすことができます。

40年代には、韓国、ロシア、アメリカからの「観光団」がやってきて「観光団」の文字が新聞紙上賑わしますが、「観光」の意味、使い方を考える上で注目すべき用例は次のものです。

薄田泣菫は、ゲーテのローマ滞在(イタリア紀行)を「大才ゲエテが一代に新紀元劃したる羅馬観光の真実の意義を知り候ものは、やがてわが京都の其の歴史的価値以外に新代の芸術と芸術家に於ける位置とを了解し得べけん」(『落葉』、明治41年)と表現し、山田寅之助は、ローマについて記す中で、ローマ帝国時代に思いをはせ、「天下の国々より羅馬に上り来れる観光の客の多かったのみならず、・・・」(『羅馬観光記』、明治41年)と表現しています。

この二人の想像力は、過去の事象に観光を見いだしたわけです。

この二人とは異なりますが、明治41年にはもう一つ注目するものがあります。
翻訳本『破天荒』(近デジ、ル-ドルフ・マ-チン著,高野巽(弦月)訳)です。

ドイツ語で書かれたものなので、訳者が、内容から判断して観光と訳したわけです(残念ながら原書が見つかっていません)。ドイツ語に観光に相当する単語はありませんので、内容から観光と表現したことになります。これも想像力です。
「はしがき」に「『破天荒』は、空中船完成の暁に於ける空中生活の状態を想像して描けるもの」とあるように現実のことではありません。「観光」が出てくるのは次の箇所です。

「一八、北極の観光
「年々夏期に至れば、米人を筆頭として数千の旅客は、空中船、飛行機を利用して納涼旁々北極の観光に出掛けるもの踵きも切らず、・・・」

「一九、メソポタミヤ楽園」
「メッカ号の一行はバグダッドに着せる翌日、一同精良なる飛行機を借りて附近の観光に出掛けた。」

(2015.8.5)

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2015年8月 4日 (火)

『単騎遠征録』(明治27年)と『大阪新繁昌記』(明治29年)

『作文便覧』の後を近デジの検索結果から見ていくと、

まず、文献のタイトルのみに「観光」があるものとして次のようなものがあります。

明治12年 『通俗観光余事』 白根多助 著(グラント米国前大統領が日光から戻った時に迎え面会した際の記録)
明治21年 『観光游草』 岡千仭 著(漢学者、大陸を訪れたときの詩文集)
明治26年 『観光図説』 岡本金二郎 編(「観光」の揮毫があるほか、「詔言」に「兵制を更め我国の光を輝かさんと思ひ」という記述があります。[軍服等の図集で、観光とはかけ離れた内容です。光は「輝かす」ですね。光を「示す」というのには違和感を感じます。])

ほかに江戸時代のものの再版の『石立擲碁国技観光』がありますが、囲碁の棋譜集です。

その他、「観光楼」、「観光堂」という出版社名、江戸時代にあった寺「観光寺」、軍艦「観光丸」、「外観光景」という表現から「観光」を検出したものが出てきます。

上記の後に出てくるのが次のものです。

●明治27年 『単騎遠征録』 西村天因 編, 福島安正 閲

これは、前年(明治26年)に大阪[東京]朝日新聞紙上で連載されたものの刊本です。検索に掛かるのは、目次にある「駐馬観光」です。本文中には「うまをとゞめてひかりをみる」とふりがながあります。

「駐馬観光  うまをとゞめてひかりをみる」
「義爾克斯科(イルクーツク)は安牙爾河の右岸に瀕(ひん)し人口大約四万七千、悉比利(シベリヤ)の中心に位し亦第一都会の地にして光を観勢を察する此地に如くなし故に中佐馬を此地に留むる者十日、哥薩克(コサック)騎兵予備歩兵大隊営、専門器械学校、陸軍病院、候補士官学校、小学校、博物館等を巡覧しけり」

とありますが、刊本で加えられた「凡例五則」の中に

「中佐の遠征実に観光審勢に在り其見聞する所軍機に属する者多し」

とあります。

幕末に、会津藩の秋月胤永が、西国優秀列藩を訪れ観察(制度、学制、田制、賞罰。風俗。操練。器械、城郭、物産、交易など)し、『観光集』にまとめていて、その途中、「至薩州」という詩に「観光適及薩摩州」と記しています。また福沢諭吉は、『西洋事情』に中で「但し吾欧羅巴の旅行と雖も僅か期年を踰へされは固より一時の観光のみにて詳に彼国の事情を探索するに暇あらず」と記しています。

これらをみると、いわゆる「視察」といえますが、「観国之光」の対象が、勢いのあるところ、[技術文化等の]進んだところを含めて捉えられてきており、「観国之光」の解釈が拡大・変容してきていることが見て取れます。『単騎遠征録』は、軍人による視察ということもあり、軍機に関するものの比重が高くなっています。

これらは、易経の「観国之光」の解釈の範囲での「観光」の使用例といえるでしょう。

●明治29年 『大阪新繁昌記』 島田小葉著

この文献は、目次(大阪新繁昌記目録)の「中ノ島公園の観光」が検索されて出てくるわけですが、本文では「中之島公園の歓光」と「観」の字が異なっています(読者による「観」の修正書きがあります)。

注目すべき箇所は、目録の各項目の記述に入る前の最初の、書き出しの文章にあります。

「若し夫れ古人を地下に起して今の繁昌を観せしめば、茫然自失浦島子が龍府に往きし感あるべし、是れ大阪の大観を云ふ而巳、是より小観を叙して新繁昌の観光を語らむ」

つまり「観光」の対象として取り上げられているのが目録の各項目で

「一 道頓堀の賑、二 演劇の精妙、三 五花街の繁華、四 千日前の雑沓。五 白鬼の出没、六 四天王寺の尊厳、七 構屋敷の清香、八 桃山の紅霞、九 大阪城の偉観、十 淀川汽船の眺望、十一 天満天神の霊現、十二 造幣局の黄白、十三 堂島相場処の盛況、十四 北陽の花、十五 梅田停車場の煙雲、十六 中ノ島公園の観光、十七 澱江◇涼の快興、十八 博物場の高雅、十九 三大橋の美観、二十 株式取引所の隆盛、廿一 裁判所の神聖、廿二 大阪監獄の石壁、廿三 新町堀江の花月、廿四 松島の四季」

これらをみると、もはや視察ではなく、観光の対象が取り上げられています。つまり、易経の「観国之光」の解釈から離れ、転意して「観光」が使用されているといえます。

この文献中には、「中ノ島公園の観光」のほかに、「博物場の高雅」の項目の中に、

「近頃場内噴泉を設け新たに一の観光を添ゆ」

というのがあります。

これら二つの文献を比べると、視察と観光の違いのほかの、「観光」の使い方の違いが見い出されます。

前者『単騎遠征録』の場合は、秋月や福沢の用例も同様ですが、特定の主体が「観光」をする[した]ということを扱っているのに対し、後者『大阪新繁昌記』では、不特定の主体が「観光」するということを想定して書かれている点です。(この点でも易経の「観国之光」の解釈から離れているといえるでしょう。)

不特定の主体を想定した「観光」の使用例としては、明治16年の日光の保晃会の大会日誌や、明治26年設立の喜賓会の目的にもみられます。

これらの文献の後に検索される明治30年代の文献に、観光の意味で「観光」を使用したものが出てきますし、それ以外にも、いくつかの文献に‘観光’が見いだされますので、遅くとも明治30年代には、現在の観光につながる「観光」の語が広がり始めたといえると思います。

(2015.8.4)

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2015年7月31日 (金)

「観国之光」と都見物

※「観光」と「」をつけた場合は、「観光」の用例、もしくは単に「観光」という単語を指します。「」のない“観光”は現在使われている意味での観光を指します。

「国の光」を見出すために、まずどこを観察するか、あるいは主要な観察地域の第一はどこかというと、やはり都を中心とする地域といえるでしょう。実際に都を「観光」するという表現は古くから見られます。

『宋高僧傳』には、「觀光上京」、「觀光兩京」、「京闕觀光人」ほかの表現が見られますし、五山文学では、虎關師錬(1278~1346)の『濟北集』の「觀光上國」、雪村友梅(1290~1346)の『雪村和尚岷峨集』の「京國觀光」ほかの表現が見られます。仏僧の行動ですから、観光を楽しむというようなことを表現しているわけではないでしょうが、その行動の中に観光的な部分が生じていたとしても不思議ではないでしょう。

孟浩然の「送袁太祝尉豫章」という詩に「何幸遇休明 観光来上京」という一節があります。「盛んな時に生きるのはとても幸運なことで、都の観光までできた(休明は、君徳が大きく明らかなこと)」というような意味で、これは都の観光つまり都見物に近いものではないかと思います。

近代デジタルライブラリーで「観光」を検索すると最も古いものとして『作文便覧』(明治10年)が出てきます。その中に次のようなものがあります。

「約農人觀光於上國」

これに関連する文章はくずし字で、今のところ一部しか判読できていないので、内容についてのコメントはできませんが、主体がが「農人」なので、これは都見物ではないかと推察されます。

なお、画像には、元の所有者か誰か読者が書いたメモ書きがあり、「ミヤコケンブツ」とあります。

(2015.7.31)

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2015年7月17日 (金)

「観光」と「アウトドアレクリエーション」

「観光」は「観る」ことが第一義にあるわけですが、「観光」に、ハイキング、登山、スキー、キャンプ、海水浴などのアウトドアレクリエーションを含めて扱うようになったのはいつごろか。

それは戦後ではなく、戦前の資料に確認されます。

滋賀県が、昭和12年から『滋賀県観光叢書』十輯を順次刊行しましたが、その中に次のように書かれています。

滋賀県観光叢書
  本県観光指導参考書の定本
  あらゆる観光対象の紹介案内

第一輯 神社詣で
第二輯 ハイキングコース
第三輯 スキー適地案内
第四輯 観光手帳
第五輯 名園めぐり
第六輯 釣と釣場案内
第七輯 寺院巡拝
第八輯 名勝めぐり
第九輯 キャンプ適地案内
第十輯 史蹟と伝説

※上記のうち第六輯までは存在を確認していますが、その後のものはわかりません。

観光に含めるとはいえ、スキー観光とか登山観光とかの表現は、現在でもほとんど使わないわけですが、『十和田歌詩句集』(大正4年[近デジ])のなかに、「登山観光者」という表現がみられます。

(2015.7.17)

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2015年7月14日 (火)

喜賓会で用いられた「観光」

喜賓会は、外客接遇のあtめに明治26年3月に設立された組織ですが、その目的の中に「・・・行旅の快楽、観光の便利を享受せいめ、・・・」と記されています。

これについての直接の史料としては『喜賓会解散報告書』がありますが、そのほかには例えばジャパン・ツーリスト・ビューローの『回顧録』(昭和12年)に掲載されています。

設立当初、新聞にはどのように扱われているのだろうと東京朝日新聞を見てみましたが、関連する記事はありませんでした。

新聞記事では、明治37年4月21日に「●外人来遊勧誘」という記事があり、「喜賓会は・・・・・・我内地旅行観光に・・・」というのがあります。

この2つの「観光」の用例には、行旅ないし旅行と観光が並んで記されており、このことが、「観光」の語源が表しているものを改めて考えてみるきっかけの一つとなりました。

語源の「観国之光 利用賓于王」は、簡単にいうと、国・地域を観察して、徳が盛んな様(光)を見たら、その王(徳高き王者・為政者)に仕えるのが良い、というような意味です。

これをよく考えてみると、観察する国・地域までの移動については言っていないということがわかります。徳高き王者は、自分の国にいる場合もありますから、移動に言及しないのは当然のことといえます。(だから、「観光(の語源)」には、もともと国内とか国外(国際)とかないわけです。「他国へ行く」としてしまったら、自国に徳高き王者がいたときに、「利用賓于王」の占が不能になってしまいます。)

目的地までの移動のことは「観光」には含まれないから、旅行・行旅と観光が並んで記載されているのではないか、と理解されるわけです。

現在でも、例えば「京都観光」といえば、京都の中を指して、アクセスは含めません。

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東京朝日新聞 明治36年12月24日 近県旅行の栞

記事は箱根の部分の抜粋です。

「観光の客を待ちつつあり」と「観光」の文字が見られます。

M3612247

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